成城国文学会は、終戦直後に、成城学園の国語・国文学関係の教員の組織として結成されました。戦後の混乱期に日本文学の伝統を宣揚すべく『文芸読本』叢書全45冊の刊行を行い、若い世代に日本文学への深い理解をうながしました。
新制大学が発足すると、中心メンバーは文芸学部長・短期大学部長・図書館長・大学院研究科長などの要職に就き、昭和20年代に試みたような事業活動の展開は見られなくなりました。会員の研究発表を中心にした運営がしばらく継続しましたが、1978年(昭53)に坂本浩先生が退任、翌年には池田勉先生、続いて栗山理一先生、1981年(昭56)に高田瑞穂先生が退任するという事態が続く中で、会の活動も縮小の止むなきに至りました。
一方、大学院の学生たちは自主的に院生会の組織を作り、学生相互の研究の交流、読書会、作家・作品の研究会を教員の指導のもとに展開するようになり、その成果は、院生の拠出金による研究誌『成城国文』に結実しました。『成城国文』は1972年(昭49)3月に創刊され、1984年(昭59)までの10年間に7号まで刊行されました。
1980年(昭55)に成城国文学会改組の方針が決まり、教員だけの会から学部学生・大学院生・卒業生を含む会に発展し、その翌年に『成城国文学会会報』第1号が出されました。第1頁には高田瑞穂先生の「成城国文学会発足に際して」と題する文章が掲載されています。文章の結びは「今、新しい発足を始めた成城国文学会が、新しく、そして価値高い存在であるためには、何よりも先に、学問としての文学の第一義を忘れないで、自らの開眼を続けることである」とあります。
1985年(昭60)からは、大学院生会の『成城国文』をさらに発展させた『成城国文学』を学会機関紙として刊行し、成城国文学会は、毎年の総会・定例研究発表会を持つ制度の整った学会として再生されました。
その後30年余り、毎年、大会の開催と学会誌の刊行を重ねてきました。学界における実績は揺るぎないものとなっています。
『成城国文学』は、高田瑞穂先生や、山田俊雄先生、尾形仂先生らの追悼特集を組むこともありました。大会で研究発表を重ねた大学院生たちが研究者として自立してゆき、2016年度(平成28年度)大会では、成城大学名誉教授・杤尾武先生の瑞宝中綬章受章記念講演をおこないました。
成城国文学会は国文学科・国文学専攻の歴史とともにあゆみ、学生の研鑽の場、会員の研究成果発表の場として活発な学会活動を続けています。